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松倉城跡
越中最大級の山城
”松倉城跡”は、魚津市南部の松倉山(鹿熊山)山頂(標高430.9m)にある、県内最大級の連郭式山城跡です。
山頂部には、空堀で区切られた五つの郭が南北に並び、その周辺部には多数の平坦地や空堀などが設けられており、長さが1キロメートルにも及ぶ巨大な城郭です。
三方は急斜面を呈した天然の要害で、さらに城の周辺には支城や砦跡と考えられる遺跡が十数個所発見されており、越中で最大規模といわれています。
築城は南北朝期の14世紀前半と推定され、幾多の武将がこの城を巡って争い、戦国末期の16世紀末までの250年の長期にわたって、新川群の要としての役割を果たしていました。
背後に控える松倉金山は、室町から江戸時代に金の採掘が行われ、その経済力で中世には勢力を誇りました。松倉城の繁栄は、金山の経済力が大きかったと考えられています。
上杉謙信に攻め落とされるまで、新川地方を統治していた武将椎名康胤(しいなやすたね)が城主を務めていました。魚津城が新川地方の中心となってからは、政治的、軍事的役割は低下しました。
春の松倉城跡は、城跡へつづく階段を登りきると一帯がサクラで彩られています。昭和の初めに植えられたヤマザクラ111本が始まりです。現在では40本ほどが残っています。
『富山さくらの名所50選』にも選ばれるほどの見応えです。県内ではヤマザクラをこれほどまとまった形で見られる場所は他にはありません。ヤマザクラは、ソメイヨシノと異なり派手さはありませんが、城跡にふさわしく落ちつきのある桜を楽しめます。
また、5月の最終日曜日には、松倉城跡「入場の門広場」にて”戦国のろし祭り”が開催されます。
【松倉城跡の構造について】
城山の中腹、鹿熊集落側には大見城平(城主の屋敷跡と考えられる)と呼ばれる幾つもの平坦面と出入り口部には石組の門が築かれています。本丸・二の丸の曲輪間の空掘や大見城平では、発掘調査が実施され、当時の生活道具などが多数出土しました。
Information
場所 | 富山県魚津市字城山3-2 |
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交通アクセス | あいの風とやま鉄道魚津駅より 車で40分 魚津ICより 車で20分 |
文化財指定など | 富山県指定文化財 史跡 |
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