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Updated 2021.02.24

《 藍染め屋 aiya(あいや)》代表 | 南部 歩美(なんぶ あゆみ)


藍で “つなぐ” 未来に優しい暮らしを目指して


#藍染め #モノを大切に使い切る  #つなぐ #循環する暮らし

藍で “つなぐ” 未来に優しい暮らしを目指して

Profile|Ayumi Nambu

子育てをしつつ、2015年夏から藍染めの活動を開始した。薬品を使わず、自然のものだけで色を出す「天然灰汁(あく)発酵建て」は、江戸時代から続く伝統技法。2018年の冬に自然豊かな魚津市鹿熊の古民家へ移住し、藍染めや里山での暮らしの魅力を多くの人に発信している。

魚津の山間いにある自宅で藍染め屋を営む南部さん。ご主人、2人のお子さん、ワンコと暮らす。

藍染め液の仕込みは子育てと同じ

草木染めの原料は元々、薬草やお茶としての用途がありました。藍染めの歴史は世界で最も古く、紀元前2400年頃の遺跡から発掘されています。日本では、室町時代に今の染色技術が確立し、江戸時代ごろに全盛期を迎えました。

「元々藍染めは、一般庶民のもの。“藍(あお)き国日本”、“JapanBlue(藍色)”と言われるように、それぞれの村に紺屋と言われる染物屋があり、着物、帯、仕事着などあらゆるものを染めていたそうです。藍染めの布は抗菌性や消臭性に優れているため、赤ちゃんのおしりがかぶれないようにおむつや、虫よけへの有用性を利用してもんぺに使われていました。今は使い捨てが当たり前の世の中ですが、服に少し汚れがついたとしても、藍染めをして大切に長く着てもらうことができます。そんな風に、人々の生活の日常に溶け込む藍染めを提案したいと思っています。」

そう話す南部さんは、藍染めの液を“藍ちゃん”と、まるで自分の子どものように呼びます。

藍染め液を仕込む「藍建て」の作業。大きな甕(かめ)の中の液を勢いよくグルングルン攪拌するのは、なかなかの重労働。

「同じように染め液を仕込んでいるつもりなのに、季節の温度などで仕上がりは毎回違うんですよね。成功する時も失敗する時もあります。大きな甕(かめ)で仕込んでも全く色を出せずに終わったこともあり、その時はすごく凹みました。染め液の仕込みは思い通りにはいきません。でも、子育てって親の思い通りにいかないですよね。思い通りに育つ子がいたら怖いくらい。歯がゆさを感じながら子育てをしているので、同じような感覚で藍も育てています。染め液の元気がなくなって腐敗臭がしてきた時なんて、子どもが高熱を出しているのと同じで代わってあげたい気持ちになります。」

わが子へも“藍ちゃん”へも、とても愛情深いことが伝わります。

染め液の仕込みは、気温など様々な要因で良し悪しが決まる。うまく色が出ない苦い経験も、確実に今につながっている。

胸に抱き続けた情熱を仕事に

富山市出身で、結婚を機に魚津市での暮らしを始めた南部さん。高校生と小学生の2人の娘さんがいます。
“食”に関する仕事に興味・関心を持ち、味噌づくりや天然酵母をおこしてパン作りをするなど「バラバラな状態では成り立たないものが、発酵の力を借りることでひとつになること」に惹かれたと言います。

「“何かしたい”というパワーを持て余している20歳の時に子育てに入ったので、自分を表現する何かを探し続けていたんだと思います。その時はその何かが”食”だったのですが、そのことをきっかけに自然な流れで”暮らし”を大切にしている人たちとの出会いがありました。」

藍染めを始めたきっかけは、北海道で草木染めをやっている人と知り合ったことでした。興味を惹かれ、幼い長女と一緒に訪れて藍染めを体験した南部さん。数年後にふと思い出し、藍染めについて調べていくうちにどんどん魅了されていったそうです。

「藍染めは発酵の力を借りて色を引き出す染色技法です。そんな藍染めについて調べるほどに奥深さを感じました。今思うと、それまでやっていた味噌やパン作りの“発酵”という部分が共通していたんだと思います。藍色が生まれるまでの工程がすごく不思議で面白く、体験では飽き足らずに自分で一からやってみようと思ったんです。私は趣味と仕事を分けることができないタイプなので、仕事にするつもりで学びました。」

知識はゼロの状態からのスタート。日本の藍の一大産地である徳島県で、10日間の藍染め勉強会に参加し、染め液を仕込むという入口の部分を学びました。
一方、勉強会で知ったことのひとつが、藍染めの染料はとても高価なものだということです。染料を仕込むための大きな甕など、一通りの設備を揃えると計50万円ほどがかかります。

「失敗するかもしれないものに、どこまで投資しても良いか悩みました。子どものために貯金しておいた方がいいと親に言われ、2~3年悩み続け…。それでも、やりたい思いは無くなるどころかどんどん膨らんでいきました。」

その間に下の子を妊娠・出産。2人目の子が1歳になるタイミングで保育園に預け、2015年夏から藍染めを始めました。小道具屋さんで80リットルの甕を購入し、魚津の海沿いにある夫の実家で、ガレージの一画を借りてのスタートでした。

「村の人たちにお世話になりっぱなしで!」 魚津の山間部へ移住して3年目、地域の人達との良い関係性が垣間見える。

地域に順応し助け合いながら暮らす

南部さんが住まいと染め場、藍を育てる畑を近くに持ちたいと考えていた時、縁があり、2018年末にそれまで住んでいた海沿いから10kmほど山あいの鹿熊地区へ引っ越してきました。
最初に始めたのは、借りた小さな畑で藍(タデアイ)の種まきをし、毎年種をつなぐこと。
腰丈まで大きくなった藍を夏の間に収穫し、ブルーシートに広げて天日乾燥させます。藍の色素は葉っぱに含まれているため、茎と分け、茎は畑へ撒いて堆肥に。葉はためておき、秋に水をうって発酵させることで、“すくも”が出来上がります。

「2020年に地区で耕作放棄される予定の田んぼを三反借り受け、タデアイ栽培をスタートしました。近い将来、自分で栽培したタデアイの葉から染料である蒅(すくも)を作り、鹿熊生まれの藍染めをカタチにするのが目標です。
自分で育て、色を生み出し、役目を終えた染め液を最後はまた畑に還すことで、環境に負荷のない循環が生まれます。藍染めも、ここでの暮らしも、循環し続けることを意識しながら過ごしたいと考えています。」

タデアイの畑へと向かう後ろ姿。自身の方向性をしっかり持っている人の背中はシャンとしてカッコイイ。

南部さんの暮らす魚津市鹿熊地区は、ほかの中山間地と同様に人口減少や高齢化が進んでいます。住民が助け合いながら暮らす昔ながらの地域で、他地域から来た南部さん家族を快く受け入れ、南部さん家族が自然にこの地域を愛し、愛されていったのが伝わってきます。

「私も家族も、ここでの暮らしを気に入っています。6歳の下の子が近所のおじちゃん・おばちゃんの家へ遊びに行き、お菓子をもらったり、なわとびに付き合ってもらったり、ピアノを弾かせてもらったり。そういう、昔ながらの地域で暮らす心地良さがあります。調味料を借りに行って、お返しのお返しが生まれて…。そんな関係性は多くの地域で薄れてきている感じですよね。まだたったの2年ですが、村の方との信頼関係が築けてきたと感じています。私自身は助けてもらっている意識がすごく強いので、自分の得意なことで恩返しをしたい。私の藍染めの仕事を通じて私なりのやり方で、この鹿熊地区に貢献できたらいいなと思っています。」

いつか、すべて魚津生まれの原料で藍染めができることを目標に、休耕田を活用してタデアイ(藍)を種から育てている。

「でも、ここを藍染めの村にして地域活性化するといったことは考えていないんです。それがこの村の方たちにとって幸せとは言い切れないし、単なる自己満足になってしまうのは嫌なので。私もおせっかいな人間だし、おせっかいされるのもウエルカム。何が正解というのはなくて、私自身も自立して家族を守っていかなければならないですし、模索しながら自立へと向かっています。」

心地の良い共存を目指して

「里山での暮らしを発信しながら、藍染め屋さんとして日常の中に溶け込みたい」

と話す南部さん。
屋号が“藍染め作家”でなく“藍染め屋”なのは、こだわりのひとつです。
藍染めを様々なモノ・コトに変えて発信することで、より強く、より多くの人へ魅力が伝わります。

「一人で完結するものづくりにはあまり興味がないんです。私は染めるところに徹して、いろんな人と一緒に時間やその場の空気を共有し、想いも共感し合いたい。」

これまでは自宅で “藍染め体験の開催” や多くの縫製作家さんへの “コラボ商品の藍染め提供” を行ってきました。

2021年は “藍と生きる” と心に決めた日から10年目の節目。藍染め屋としての軸となる事業の方向性を “今あるものの染め替えオーダー” に絞ることにしました。

「私たち人間を含め、生きとし生けるものは大きな循環の中で生きています。全てのものが特別で、不要なものなど無く、個々が自分らしい姿で命を繋いでいます。動物も植物も水も空気も全てがそう。私は、その営みを傷つけることのないようなやり方で、“藍”という色を生み出してきました。」

藍と向き合う中で、南部さんはこれからの未来へつながる暮らしに想いを馳せています。

大好きな地域の人たちと。この村で暮らすことで、循環する暮らし方や、次の世代へつなぐことへの意識が大きくなった。

「上の世代の方々とも共に暮らしながら、少し先の未来のことを考えて生きていきたいです。自分の子どもたちやその先の世代に何を残し、何を伝えるのか。“もったいない”という、ものを大切にする日本文化や世界の環境変化など、考えられることはいくつもあり、そのきっかけとして自分が発信するものが藍なんです。みんなで一緒にワクワクを共有し、心地の良い共存を目指して、持ちつ持たれつ暮らしていく。ここから何かが伝わり、それが選択肢のひとつになればと思っています。」

今後はさらに “暮らしと藍とのつながり” を深めるために、この鹿熊地区からさらに多くの人と繋がりを生み出し続けることを目的とした “Tunagu project” を発信していくそうです。

「このプロジェクトをボランティアでなく事業として動かしていくためにも、これまで以上に頑張ります。みなさんの大切なものをさらに長く使ってもらうために、ぜひ私に染め替えを任せてもらいたいです。そのモノとヒトが織りなす歴史を藍で包んでお返しします。また、藍染めの見学やおしゃべりをするお茶会を開くので、遊びに来てほしいです。藍も大好きだけど、やっぱり人も好きなんです。」

 
藍染めの工程

仕込み(藍建て)

甕は4本。染め液に使う材料は「蒅(すくも)、木の灰から取った灰汁、貝灰、ふすま(小麦から取ったぬか)、日本酒のみ。10日ほどかけて液を仕込みます。化学薬品等は一切使用しません! (写真手前が蒅)

染め液の管理

毎日1回、蒅(すくも)が沈殿しているのを巻き上げるように混ぜる。上手く撹拌できると甕の中央に「藍の華」ができる(写真)。温度は26~28度をキープし、発酵を促す。温度が低すぎると発酵が進まない。上手に管理すると6〜8ヶ月染めることができる。

染め作業

液の状態を見ながら染めを行う。 染めた後は、魚津の山から引いている伏流水で洗い、仕上げる。この地域の水は柔らかくて、「染め液の管理が少しラクになったような気がする」とか。

藍染め屋 aiya 南部 歩美(なんぶ あゆみ)

場所 富山県魚津市鹿熊1690
TEL/FAX TEL 080-4258-4837
about SNSでは、藍建ての様子や、鮮やかに染め上がった洋服などとともに、南部さんの日々の思いや暮らしの様子などが垣間見れます。
大切だけど色あせてしまった布製品やニットなど、染め替えをご希望の方は、ぜひ南部さんへ相談してみてください。きっと再び息を吹き込んで下さいますよ!(ご連絡は電話またはSNSからのメッセージで)
Web/SNS
藍染め屋 aiya https://www.instagram.com/aiya_aisomeya/
里山での暮らしなど https://www.instagram.com/ayumi_aiya/

染め液を仕込む1週間から10日間は、妊娠期間のようなものだと南部さんは言います。この仕込み期間と維持する間も毎日の撹拌が必要なので、一日でも家を離れる場合は旦那さんに頼むそうです。本当に子育てと同じですね。たくさん染めた後は液を1~2日休ませるなど、家族の一員のように大切にされています。
こんなにも愛する藍染めと出会え、思い続けて仕事にした南部さんは、キラキラ輝いています。素手で染めるために青くなった南部さんの手は、藍染めに対する誇りなのだと感じました。

取材・ライター 古野 知晴 (VoiceFull代表、キャスター)
撮影      鬼塚 仁奈(tete studio works)
取材日     2020.10

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